大師道歴史探訪、大変興味深く拝見いたしました。私は、神戸武夷登山会の署名場所になっている燈籠茶屋と稲荷茶屋のことを調べています。この二つの茶屋が今の場所に来たのは、1938年の洪水のあとのようですね。それ以前はもっと上にあったということしか分かりませんでした。大師道歴史探訪を拝見し、疑問がかなり解けました。燈籠茶屋はかつては中茶屋と言っていたということです。そして、稲荷茶屋はドック茶屋と言っていたのですが、武夷登山会の人が名前がわるいと言って、主人の名を取って長谷茶屋と変え、燈籠茶屋になったのは洪水後、今の場所に来てからのようです。そして、燈籠茶屋は、最初、建築中、少し下に仮設で営業していて、できあがって今の位置になったそうです。それで、一つ質問です。地図上、ドック茶屋の記載があるのは福助茶屋の場所ですか?